Kana Pronunciation Guide Demo


All the hiragana and katakana on this page have been automatically annotated with latin character transliterations (i.e., "romaji"), which may be useful for people who are just starting to learn Japanese.
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Text sampled from: ヘボン式ローマ字 (Wikipedia.org)

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ヘボン式ローマ字(ヘボンしきローマじ、: Hepburn romanization)は、日本語表記をラテン文字表記に転写する際の規則、いわゆるローマ字の複数ある表記法のうち、日本国内および国外で最も広く利用されている方式である。

ジェームス・カーティス・ヘボン(James Curtis Hepburn)[注釈 1]によって考案された。

ローマ字の表記法としては日本式ローマ字およびそれを基にした訓令式ローマ字と競合する方式である。日本語話者向けに日本語翻字さらには正書法(日本語ローマ字化)となることを目指して開発された日本式系と比べ、英語・ラテン語の発音への親和性を重視したヘボン式は外国人のための案内や日本語の翻訳用途に向いている。

歴史[編集]

1859年江戸時代末期の日本を訪れたアメリカ合衆国長老教会の医療伝道宣教師医師でもあったジェームス・カーティス・ヘボンは、布教活動を行う傍ら、現在の神奈川県横浜に男女共学のヘボン塾(後の明治学院フェリス女学院の源流)を開き医学と英語の教育を行うと同時に、和英辞典の編纂と聖書翻訳に取り組んだ。

ヘボンは1867年、世界初の近代的な和英辞典である和英語林集成を横浜とロンドンで同時に発行した。これらは日本語の見出し語や例文をローマ字で記していたものだったが、1872年に発行された第2版までのローマ字表記法はそれ以前のジョン・リギンズサミュエル・ロビンス・ブラウンの方式とほとんど同じだった[1]。ヘボンはまたアメリカ聖書協会からローマ字で書かれたヨハネ福音書Shin-Yaku Sei-sho. Yohane no fuku-in』を1873年に、『Warera no Shu Iyesu Kirisuto no Shin Yaku Zensho』を1880年に出版した[2][3]

1884年外山正一は東洋学芸雑誌に「羅馬字ヲ主張スル者ニ告グ」を発表し、ローマ字国字論を唱えた。この呼び掛けに応える形で翌年1月17日に羅馬字会が設立された。会員は外山正一、神田乃武矢田部良吉バジル・ホール・チェンバレンらであった。同会は機関誌『Rōmaji Zasshi』を発行し、2月19日につづり方を決定した[4]。羅馬字会の方式は『羅馬字にて日本語の書き方』[5]に記されている[6]

ヘボンは1886年に発行された和英語林集成の第3版において、羅馬字会の方式を取り入れたローマ字表・ローマ字表記法を完成させた。これが初期のヘボン式として最初に広く普及した方式であるが、後年に広まった方式とは若干規則が異なるため、今日では区別のため便宜上「Traditional Hepburn(旧ヘボン式)」と呼ばれている[7][8]

1905年にはローマ字論者の大同団結が図られ、教育者の嘉納治五郎を中心にローマ字ひろめ会が成立した。同会は翌年、ヘボン式に修正を加えたものを考案[9][6][10]し、この方式は「修正ヘボン式(Modified Hepburn)」または「標準式」として知られることになった[11][12]。なお、これに対抗して日本式を主張する田中館愛橘田丸卓郎らは1912年にローマ字ひろめ会を退会し、1914年に東京ローマ字会(のちに日本ローマ字会と改称)を設立している[13][14]

鉄道省ははじめ駅名のローマ字表記に日本式の採用を考えていたが、西園寺公望藤岡勝二ら、ローマ字ひろめ会の会員6名が連名で建白書を提出して反対した[15]1927年鉄道省は鉄道掲示規則(通達571号)によりヘボン式を採用した。

1930年から1936年まで文部省で臨時ローマ字調査会が開かれたが、鉄道省や商工省地質調査所は標準式(ヘボン式)を、陸地測量部水路部中央気象台は日本式を主張した。1937年の内閣訓令第3号によって日本式をベースに改変を加えたローマ字表記法が制定され[16]、後に訓令式と呼ばれる方式が確立した[17]。これにならい、1938年に鉄道省はローマ字表記を訓令式に改めている。日本政府の公的なローマ字表記が、当時も圧倒的に優勢だったヘボン式ではなく、日本式をベースとした理由について、柿木重宜はヘボン式の中心的人物であった藤岡勝二が1935年に没したことと関係するのではないかとしている[18]

1945年9月3日、第二次世界大戦直後の占領下において、GHQ(SCAP)が日本語をアルファベットで書き表す方式として修正ヘボン式を採用する指令を出した。これは公的なローマ字表記としての戦前の訓令式を置き換えるものとなった[19]

日本の主権回復後、国語審議会ではローマ字調査分化審議会を開き、ローマ字のつづり方を統一しようとした。1953年、国語審議会長の土岐善麿は 「ローマ字つづりの単一化について」において新たなローマ字表・ローマ字表記法を提言した。これは「第1表」を戦前の訓令式と同一のものとし、訓令式を復 活させるものであったが、日本式や修正ヘボン式の綴りも「現実には通用している」ため読み方は知るべきであるとして、これを「第2表」として残した。この 提言が1954年12月9日に「ローマ字のつづり方」として内閣告示されたため、名目上は公的なローマ字法が再び訓令式に戻ることになるが、条件付きではあるが日本政府も修正ヘボン式を事実上認めることとなった。

同じく1954年には研究社新和英大辞典の第3版において修正ヘボン式の表を改めて再定義し、これを出典としてアメリカ図書館協会およびアメリカ議会図書館のローマ字表記法など米英の公的機関のローマ字表記法で採択されるなど、修正ヘボン式がデファクトスタンダードとして戦後の国際社会に広まっていった[20]

こうした経緯を経て改訂されてきたヘボン式が各分野で様々な時期に採用されてきた結果、ヘボン式と呼ばれる表記法は羅馬字会およびヘボンの 「和英語林集成」第3版から広まった旧ヘボン式と、ローマ字ひろめ会を起源とし、GHQの影響を受けた「新和英大辞典」の修正ヘボン式の、若干規則が異な る二種類の系統が混在することとなった。どちらの方式も広く一般に普及しており、同じヘボン式でも表記ゆれが 発生する要因となっている。アメリカ合衆国を始めとする英語圏で最も多く使用されている日本語のローマ字表記法は「新和英大辞典」を出典とする修正ヘボン 式であり、単に「Hepburn romanization」と呼ぶ場合はこの修正ヘボン式を指すことが多い。一方で日本国内では旧来からの表記が使用される分野も多く、国内で単に「ヘボ ン式」と呼んだ場合は「和英語林集成」第3版の旧ヘボン式を指すことも多い。また、英語圏でも旧ヘボン式の綴りが定着した日本語由来の単語(Tempuraなど)が存在する。

また、上記の「新和英大辞典」のローマ字表記が日本国内外で「Modified Hepburn(修正ヘボン式)」として定着する以前にも、ヘボン式は幾度もの修正を重ねてきたため、文献によっては2020年現在とは異なる意味で「修正ヘボン式」という呼称を使用している場合があるため注意が必要である。例として、現在では修正ヘボン式とは区別されている「和英語林集成」第3版のヘボン式も、初版および第2版とは異なるという意味で修正ヘボン式と呼ばれる場合がある[21][22]